Dreamzone

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私の愛したSUPER MONKEY'S

第7章:幸運と偶然の重なる時

 「TRY ME」のヒットによるブレイクの翌年、1996年。この元旦の夜、NHKBSで昨夏のファーストコンサートの模様の放送から、新たな1年がはじまりました。この年最初にリリースされたシングル、「Don't wannna cry」から安室さんのバックから、他のメンバーがはずれるようになりました。そして、それと前後してリリースされた「TORA TORA TORA」から、MAXとしてのプロモーションが活発化され、5人が揃うのは「夜もヒッパレ」だけという状態になりました。昨年からの状況から、こういう事態は予想してはいたものの、やはりそれが現実のものとなると、あくまでSUPER MONKEY'Sファンの私には寂しく、悲しい現実でした。

 それはさておき、この’96年春には、ついにSUPER MONKEY'Sの全国ツアーが決定しました。そして、今回のツアーには会場に神戸・京都・大阪が入っており、遂に彼女達のライブを関西で見れる日がきたのです。そして、幸運にも関西地区の主催は当時私が会員になっているプロモーターだったので、優先でチケットを入手することができました。さらに、幸運なことには、まだこの時点ではファンクラブが結成されてなかったので、多分プロモーター優先枠が一番いいチケットが取れるだろうという読み通り、神戸が最前列、京都が6列目、大阪が3列目のチケットを入手することができました。振り返ってみれば、こうした様々なことが、私が後に思いもよらない経験をすることになる最大の原因となるわけですが・・。

 関西でのコンサート初日は1996年3月30日神戸。最前列ということで、今まで以上のテンションでコンサートに臨みました。OPはステージ上の照明が一瞬消え、次についた時には揃いのハーフコート姿の5人がステージ上に立っているという、最高にカッコイイ演出からの「Body Feels EXIT」でスタート。クライマックスの「Chase the Chance」「Stop the Music」「太陽のシーズン」「ハートに火をつけて」の盛り上がりはは圧巻!。「Stop~」のラストでは、ステージ上で特殊効果の爆発があったのですが、最前列の私の目の前でも爆発があり、あまりの爆発の激しさに思わずあとずさりしてしまうくらいでした。

 そしてアンコールも終り、客電もついた場内に、突然「これから、「HEY!3」の収録があります」というアナウンスが流れました。そう、この日3月30日は、「HEY!3チャンプカーニバル」の収録日だったのです。「HEY!3」といえば言うまでもなく当時の超人気音楽番組。その収録が3月30日だというのは知っていたので、会場から中継があるかもとは思ってはいたのですが、それご現実になり、「まだSUPER MONKEY'Sのステージが見れる!」と喜んだのでした。その時は、ほんの十数分後に自分に起こる運命を想像すらできなかったのですが・・・。

 「Body Feels EXIT」「Chase the Chance」「Don't wanna cry」と3曲のリハも終り、いよいよ中継本番。NKホールにいるダウンタウンとステージ上のSUPER MONKEY'Sの5人がひとしきり挨拶を交わした後、TVカメラが最前列の観客を写しながら移動して行きました。そして、私の前を通り過ぎたカメラが、何故か再び私のほうに戻ってきました。最初は、自分でも何のことか解らなかったのですが、カメラが自分の前に止まり、自分の事を映しているのが解ると反射的に派手なパフォーマンスをしてしまったのでした。ちなみに、その時カメラが私の所の戻ってきたのは、ダウンタウンの松本さんが、その時私が着ていたTシャツに注目したためでした。私は、ライブに行くと、かなり騒いで汗をかくほうなので、ライブ中はたいていTシャツかランニングシャツ姿になってます。で、できるだけ風通しのいいもののほうがが楽なので、その日のライブでも、いわゆる「だるだる」なのを着ていました。どうせ、ライブが始まれば場内は暗くなるし、他の客もみんなステージ上を見てて、他人の格好など気にしないと思ってたので。まさか、その格好が松本さんの目に止まるとは、思いもよらなかったのです。

 しかも、SUPER MONKEY'Sのステージ終了後、松本さんが再び私のほうにカメラを向けるようななMCをしたので、私も関西人の性で、つい「何か受けることをやらねば!」と思ってしまい、Tシャツの中の頭を引っ込めるというしょうもないパフォーマンスをしてしまったのです。まあ、ステージ上のSUPER MONKEY'Sの5人には受けてたようですが(笑)。しかし、その時はライブ直後でめちゃめちゃテンションが高かったので、そんな派手なパフォーマンスをしてしまったのですが、帰りの電車の中で冷静になると、「やってもうた・・・」と落ち込んでしまったのでした。その時では、客の一人の様子等、放送で使わないかもとも思ったりしたのですが、結果は多くの方がご承知のようになってしまったのです。

 思えば、こういう経験をしてしまったのは、プロモーター優先でいい席が取れ、しかも関西3公演のうち唯一最前列が取れた神戸のコンサートの日に「HEY!3」の中継が入り、しかも私のTシャツが松本さんの目に止まるという、様々な幸運と偶然が重なった結果でした。人生、本当に何時どんなことが起こるか判らないと思ったものです。だけど、これですべてが終わったわけではなかったのです・・。