Dreamzone

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私の愛したSUPER MONKEY'S

第2章:果てしなきトンネルの中で

 序章にも書いたように、「ミスターU.S.A」がリリースされた’90年代前半。この頃はプロローグに書いたように「アイドル冬の時代」と呼ばれ、TVの歌番組の激減とともに、アイドルのCDが全くセールス的に数字を上げれない時代で、それゆえSUPER MONKEY'Sの素晴らしいパフォーマンスもほとんどTVで見ることが出来ない時代でした。前述の「KATO&KENTVバスターズ」も’92年秋には放送が終了。まさにSUPER MONKEY'Sはデビューと同時に、暗くて長い出口の見えないトンネルに突入してしまったのです。そんな状況の中、’92年末に牧野アンナさんが脱退。代わりに加入した中曽根梨乃さんも、私は1度もTVなどで見ることなく数か月で脱退。

 翌’93年、ユニット名をSUPER MONKEY'S4に変更。その前後で安室さんはドラマ「いちご白書」に出演。小田茜さん、辺見えみりさんとのトリプル主演で出番もかなり多かったです。そしてその春、少しだけ光明が見えてきました。SUPER MONKEY'SがNHKの「ポップジャム」のレギュラーとなったのです。この番組でSUPER MONKEY'Sは、他の数人のタレントと、PJG(POP JAM GIRLSの略)という番組内ユニットを結成してました。例えが古いですが、同じNHKの伝説のアイドル番組「レッツゴーヤング」におけるサンデーズのようなポジション。番組のアシスタントを務めると共に、カバー曲を歌ったり、ゲストのバックで踊ったりするのが主な仕事でした。もちろん、時には自分たちの曲を歌わしてもらってましたが。

 後に安室さんが、当時を振り返って、「(自分も歌手なのに)他の歌手のバックで踊るのは嫌だった。」と語ったことごありました。しかし、当時他の番組でSUPER MONKEY'Sが歌い踊る姿をほとんど見ることのできなかった私にとっては非常に貴重な番組でした。それに、当時のSUPER MONKEY'Sはまだコンサートを開く力はなかったので、この番組でNHkホールの3000人以上の観客の前で歌うことができたのは、彼女たちにとってもいい経験になったと思います。

 この’93年には、セカンドシングル「DANCING JUNK」、サードシングル「愛してマスカット」がリリースされました。「愛してマスカット」は、CMで大量に流されたこともあり、ブレイク以前の代表曲といえると思います。個人的にも、「愛してマスカット」のダンスパフォーマンスは、SUPER MONKEY'Sの最高傑作だと思います。最初にTVでこの曲を歌うのを見た時、あまりの動きの激しさに感動を通りこして、呆然としてしまったのを今でも覚えてます。この年末の紅白歌合戦には「ポップジャム」のMC森口博子さんのバックダンサーとして出演。彼女たち自身の力で再びこの舞台に立つのはそれからら2年後のこととなります。

 こうして、少し光の見えた’93年でしたが、翌’94年の春には「ポップジャム」のレギュラーがなくなり(PJG自体が消滅)、再びTVでSUPER MONKEY'Sを見ることがほとんどなくなりました。まだこの時、トンネルの出口は全く見えなかったのです。