Dreamzone

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私の愛したSUPER MONKEY'S

第8章:HEY!再び

 私の出演(?)した「HEY!3」が放送されてからしばらくして、1996年の5月のある日。私の元に1本の電話がかかってきました。その電話はフジテレビの「HEY!3」のスタッフからでした。突然の電話に驚いた私ですが、電話の内容は、6月1日にSUPER MONKEY'Sゲストの収録があり、その時スタジオに招待したら来てくれるかとのこと。驚きながらも、私はもちろん「OK」の返事をしました。私の所在はやはりプロモーター経由で調べたそうですg個人情報にうるさい現在ではありえないだろう話ですね。そして、それから数時間後あらためて正式に出演以来の電話がかかってきたのでした。

 それから数日後、番組スタッフの方がわざわざ大阪まで打ち合わせのため来られました。その時にはまず、神戸での中継の際の話や、私の今までのSUPER MONKEY'Sのファンとしての思い出(要するにこのページに書いているような内容)を話しました。そして、次に番組収録の段取りの話をしました。私の存在は、浜田さんだけに知らせて、SUPER MONKEY'Sのメンバーにはもちろん、松本さんにも知らせないとのこと。そして、収録の際に神戸の時に着ていたTシャツを着てほしい、それから番組作りの参考にするので、私の履歴書みたいなものをファックスでおくってほしいという依頼がありました。思えばこれが、後で番組でとんでもな使われ方をするのですが。

 そして、収録日の6月1日。私は収録場所のTMC(砧スタジオ)に向かいました。最初にスタッフの方と軽く打ち合わせして、その後収録まで控室で待機するよう指示がありました。この控室は、TVでよく見るような、大きい鏡の張られた畳敷きの部屋でした。そして、他のタレントはもちろん、SUPER MONKEY'Sのメンバーも同じ並びの控室にいるので、自分の部屋から1歩も出ないようにとの指示がありました。この控室で、1人で出番を待っていた時間というのは、わたしの人生の中でも一番緊張した時間だったと思います。

 控え室で待つこと約2時間。ようやく、収録が始まりました。まず収録スタジオに客入れがあり、それが終わると私もこっそりスタジオに入れてもらいました。その前に、番組の偉いさんから挨拶され、より緊張したりしましたが。そして、収録開始。最初はSUPER MONKEY'Sの歌の収録。この日の歌は「Chase the Chance」「Don't wanna cry」「You're my sunshine」の3曲。歌の収録が終わった後、スタジオに椅子が搬入され、トークのセッティング。私はさりげなく(わざとらしく?)カメラが抜きやすい位置に座らされ、トーク開始を待つことになったのです。

 ここから先は、ほとんどTVで放送された通りです。ひとしきりトークが進んだ後、神戸での中継の模様がモニターに映されました。その瞬間、私の回りに座っていた客は、一斉に私を指さしたのですが(笑)。そして、その後、あの「だるだる君のすべて」なるファイルを浜田さんが取り出したのです。それは、私が番組スタッフ宛に送ったファックスをもとに作られたのですが、そんなものが作られているとは私には全然知らされておらず、私は心の中で「聞いてないよ~」と叫んだのですが(笑)。

 その後、浜田さんが私を紹介し、カメラが私を抜いて、SUPER MONKEY'Sのメンバーと松本さんが私の存在に気づいた訳です。その後、ステージ上の皆さんとのトークになったのですが、正直、この時はメチャメチャ緊張してて、いいリアクションができませんでした。せっかく、松本さんが私に何度かネタを振ってくれたのに、あたり前の答えしかできず、わざわざ収録に招待してくれたのに、申し訳ないことしたと、今でも心残りです。

 こうして、SUPER MONKEY'Sのトークは終了、その後他のゲストのトーク収録にも参加して、私はスタジオを後にしました。よく、この時のことで聞かれるのですが、私は収録前も収録後もSUPER MONKEY'Sならびにダウンタウンと会ったり話をしたりしていません。収録後、スタジオの前室みたいなところで松本さんを見かけたのですが、すごくピリピリした雰囲気で、とても声をかけれる空気ではなかったです。

 収録後、私はスタッフの方からSUPER MONKEY'Sの5人のサイン入りのこの日の台本を頂きました。5人の名前の真ん中に「SUPER MONKEY'S」と書かれたこの台本は、私がSUPER MONKEY'Sを心から応援してきた証であり、一生の宝物です。