Dreamzone

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私の愛したSUPER MONKEY'S<プロローグ>

プロローグ:PLAYBACK1992

 私とSUPER MONKEY'Sの出会いを語る前に、彼女たちがデビューした1992年当時のアイドル界・音楽界について語りたいと思います。当時の1990年代前半は「アイドル冬の時代」と言われていました。この頃はの世間一般の認識は「アイドル=アイドル歌手」。つまり、正確には「アイドル歌手冬の時代」でした。

 その元凶となったのは’80年代中盤にアイドル界を風靡したおニャン子クラブおニャン子クラブはそれまでのアイドルの概念を崩し、「普通の女の子をTVの力でで一夜でトップアイドルに仕立てる」というコンセプトでした。当時若かった私は、その秋元氏の既成概念を打破したもくろみにまんまと乗っかってしまい、熱狂的におニャン子を支持してました。しかし、そういった「粗製乱造」のシステムが長く続くはずもなく、おニャン子は僅か2年半で解散。あとに残されたのは、「アイドル」イコール「軽い」「薄い」「ダサい」といったようなネガティブなイメージばかりでした。そして、そういうイメージの蔓延が’90年代前半の「アイドル冬の時代」を生んだのです。

 おニャン子を支持したことによって「アイドル冬の時代」到来に一役買ってしまったことは、私にとっても痛恨の極みでした。21世紀になってAKB系や坂系といった秋元氏の「仕掛け」に乗らないのも、このトラウマが原因です。そして、私は再び「アイドル春の時代」を迎えるためには、↑に書いたようなといったネガティブなイメージを吹きとばすようなパフォーマンス能力の高いアイドルの登場が必要と思い、そういうアイドルを応援していこうと決心しました。

 そんな私が最初に熱心に応援したのが’90年にデビューした東京パフォーマンスドールTPD)でした。今では「篠原涼子さんがかつて在籍していた」という文脈以外ほとんど語られないTPDですが、彼女たちのクールなパフォーマンスは明らかに従来のアイドルとは違うエポックメイキングなものでした。しかし、彼女たちも’92年に武道館公演という大舞台を成功したものの、そこがピークという印象でコアなファンの熱気は世間一般に浸透せず。やがてフェイドアウトに向かいます。

 そのTPDが武道館公演を行った、92年にデビューしたのがSUPER MONKEY'Sでした。そこから私が彼女たちの「奇跡の軌跡」を間近で見続ける日々が始まったのです。