Dreamzone

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私の愛したSUPER MONKEY'S

第1章:南の島から来た少女たち

 私が初めてSUPER MONKEY'Sの存在を知ったのは、’92年春からTBS系で放送されていた、「KATO&KENテレビバスターズ」という番組でした。この番組には、タレントチームと視聴者チームがドッジボールの試合をするコーナーがあり、そのコーナーで、賞品を紹介したり、参加者募集の案内をするのが彼女たちの主な仕事でした。また、タレントチームの誰かがゲーム中につき指等のケガをすると、SUPER MONKEY'Sの誰かが代わりにゲームに出場するという、スーパーサブ的な存在もはたしてました。 

 この時点でのSUPER MONKEY'Sのメンバーは、安室奈美恵さん、沢詩奈々子さん、天久美奈子さん、新垣寿子さん、そして初代リーダーの牧野アンナさん(今ではSKE48などの振付師として有名)の5人。後に雑誌の記事等で、彼女たちが、沖縄出身で早坂好恵さんと同じタレントスクールの後輩で、全員琉球空手の黒帯だということ等を知りました。もっとも、まだその時点では私も彼女たちのファンという訳でもなく、「KATO&~」での彼女たちの姿も軽く見流していたのですが・・・。

 こうした状況の中、運命の日、1992年8月26日がやってきました。関西在住の方はご存じでしょうが、「おはよう朝日です」という、朝の関西ローカル番組があります。この番組には、当時歌のゲストのコーナーがあり、関西にキャンペーンにきた歌手はたいていこの番組に出演してました。そして、この日のゲストはSUPER MONKEY'S。「そういえば、あの子たち、CD出すんだったな・・・」と軽い気持ちでTVを見ていた私は、ほんの数分後にはTVの前でかつてない衝撃に絶句していたのでした。

 この時、彼女たちが歌ったのはもちろんデビュー曲の「ミスターU.S.A」。彼女たちがCDをリリースするというのは知っていたのですが、その時点では、当然この頃でいえばCOCOやribbonのような、いわゆる正当はアイドルグループとしてデビューするものだとばかり思ってました。しかし、そんな予想は完全にくつがえされました。何よりも、そのダンスパフォーマンスのカッコよさ!後には誰もが知るこっとなる彼女たちのダンスの素晴らしさも、まだTRFもブレイクしてないこの時代において、10代の女の子たちがこれだけのパフォーマンスを見せるというのは、本当に衝撃的な出来事でした。そして、同時に「彼女たちこそアイドル冬の時代を終わらせてくれるのでは?」と思ったのでした。

 ところで、この「おはよう朝日です」という番組は、サテスタからの放送で、そのためスタジオが狭いせいか、歌のゲストが大人数の時はスタジオ外で歌い、中継するのが常でした。それゆえ、この日のSUPER MONKEY'Sも近くの公園からの中継でした。早朝の公園ゆえ、もちろんギャラリーはゼロ。誰もいない朝の公園で歌って踊る安室さんたち、今では想像できない光景です。そして、朝の番組ゆえ、当然画面には時刻が表示されます。SUPER MONKEY'Sが歌い終わった時、画面には「7:56」の表示が。

 1992年8月26日7時56分、その時が私がSUPER MONKEY'Sファンとなった瞬間でした。