Dreamzone

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私の愛したSUPER MONKEY'S

第3章:ファーストコンタクト

 ’94年、年明けすぐに安室さんはドラマ「時をかける少女」に出演。当時人気絶唱内田有紀さんの妹役で出番もかなり多かったです。そして、春から安室さんは「ポンキッキーズ」に鈴木蘭々さんとシスターラビッツとしてレギュラー出演。これは間違いなく、ブレイク以前の彼女の1番有名な仕事でしょう。

 SUPER MONKEY'Sとしては’94年夏には4thシングル「PARADISE TRAIN」がリリースされ、グループ名も「安室奈美恵withSUPER MONKEY'S」となりました。しかし、私がこの曲をTVで歌うのを見たのは、「スーパージョッキー」でただ一度だけです。関東ローカルの番組では他にもあったでしょうが、関西でも放送されたのは恐らくこれ一度だけのはずです。正直言って、このころはSUPER MONKEY'Sのファンなんて世界に私一人だけかと思ったりしたものでした。だけど、秋になると気づかぬうちに、長いトンネルの出口は近づいていたのです。

 その前兆の第一は、新垣寿子さんの脱退と、それの伴う宮内玲奈さんと松田律子さんの加入。このメンバーチェンジにより、安室さんという天性のファンタジスタをセンターに置き、卓越したハードワーカー4人がダンスでサポートするというスタイルが確立し、よりクオリティの高いダンスパフォーマンスを実現できるようになったのです。今でもアイドルユニットでボーカルが1人で残りメンバーがダンス&ボーカル担当の場合、「スーパーモンキーズ方式」とか「OOwithOO」という言われ方をよくします。

 第二の前兆は、おなじみの「夜もヒッパレ」に準レギュラーとして出演するようになったこと。この番組において、自分たちの曲は歌えなかったものの、そのクオリティの高いダンスパフォーマンスを世間一般の人々も知るようになり、翌年のブレイクへの下地がつくられたのです。特に、この秋のスペシャルでは、田原俊彦さんとダンスで共演し、当時の彼女たちのポジションとしてはかなりの抜擢で、強く印象に残ってます。

 この’94年の秋、SUPER MONKEY'Sはいくつかの大学の学園祭に出演しました。最も、出演するのは東京の大学ばかり。そこで、私も意を決して東京電機大学の学園祭のチケットを購入しました。日時は11月5日。「おはよう朝日です」で彼女たちのファンになつてから、実に801日目のことでした。

 ライブの会場は、東京電機大学の7102教室。大学によくある、中規模で机と折り椅子が固定された教室でした。そこに集まった観客は100人くらい。今では、信じられない少人数ですが、それでも当時は「そこそこ入ってよかった」と思ったものでした。今では、この日のお客さんはすべてラッキーだったと思っていることでしょう。お客さんのほとんどは当大学の学生だったと思いますが、熱心に声援を送る客も数人見受けられました。思えば、この日は私が初めてSUPER MONKEY'Sを見た日であると共に、私以外のSUPER MONKEY'Sファンを初めて見た日でもありました。

 そして、ライブは始まりました。一曲目は「PARADISE TRAIN」。801日の間、夢にまで見たSUPER MONKEY'Sのライブ!衝撃のデビュー曲「ミスターU.S.A」、最高傑作「愛してマスカット」、さらには初めて歌うのを見るc/wの曲の数々!(この日は「DACING JUNK」以外の持ち歌全て歌いました)次々に目の前で歌い踊る5人の姿を見て、「感動!」以外の言葉はありませんでした。

 だけど、この日の幸運はそれだけでは終わりませんでした。学園祭のステージらしく、途中で観客参加のゲームコーナーがあったのですが、なんとここでゲームの参加者に選ばれてしまったのです。ゲームというのは、観客が風船を運んでSUPER MONKEY'Sのメンバーがお尻で割るという、他愛もない内容でしたが、私はここで、奈々子さんとコンビを組んでゲームに参加しました。そして、ゲーム終了後にはどさくさにまぎれてSUPER MONKEY'Sのメンバー全員と握手までしてしまいました。

 こうして、約1時間半の至福の時間はあっという間に過ぎ去りました。ライブが終わり、初めてSUPER MONKEY'Sを見れて、全員と握手までできた感動にひたりながら、こんな素晴らしい日が再び来ることがあるのだろうかと思ってました。その時には、来たるべき1995年がSUPER MONKEY'Sにとっても、私にとっても信じられない1年になるとは夢にも思わなかったのでした。